SOTTO VOCE / JANUARY 2005 **********************



2005/01/20 THU.


 30万回の皆様とママの足跡記念に!(当初はママの足跡ばかり、アハハ)


 もう1月も20日となりました。
ホントにバタバタと過ぎて行く日々・・・魔の記念日も無事に通過してホッ!
それにしてもママにとって1月は厄月かもね。まっ、クリスチャンなので厄には関係ないのですが、 色々と心配なことが起こるように感じます。(笑)
 魔の記念日の主役であるユウジは、おかげさまで 無事に2年間を過ごし、3年目に突入。年末からひいてた風邪がなかなか抜けず、熱が引いたと思ったら 滲出性中耳炎となり、今、耳鼻科へ通っています。こどもの頃に一度も中耳炎にかかったことがないのが ママの自慢だったのに・・・何なんでしょうね。(笑) でも、風邪から来る症状なので自然に治るらしく心配ないそうです。

 そんなこんなでネットに繋いでも仕事のメールのみチェックする日々が続いてた中、どなたかが 30万のカウンタを踏んで下さったようです。ママは300007を踏み・・・慌ててスクリーンキャプチャー した次第。(笑)
 こんな時なので、記念イベントは出来ず。確か20万の時に30万の際には大々的に・・・とか書いた気が するんですが・・・今、調べたら書いてなかった(笑)去年の2月16日の日記参照。
 つまり、いつも皆様に感謝し、記念カウンタの際は何か企画せねば・・・と思っているということです。 思ってるだけで実行出来ず・・・すみません。次はキリ良く50万の際にと!ワハハ

 今年に入り、急に寒い日が続いています。
 今日は朝から雪が舞い、底冷えする日となりました。
 一昨日、海チャンが待ちに待っていた幼稚園でのお誕生会がありました。
 12月生まれのこどもたちは1月生まれの子たちと一緒にお祝いするのだそうです。
 どうも海チャンの中では、このお誕生会で全園児からのお祝いを受けないと「一人前の5歳児」になった気分が しないようで「海はまだお祝いがすんでないから・・・」と、あんなに沢山のプレゼントを貰い、 ローソクも消したのに、ことあるごとにブツブツ・・・(笑)

 しかし、だぁちゃんが撮って来たビデオを見て原因が分かりました。
このお祝いの会で、お友達皆の前で「得意技」をご披露するというプレッシャーに、海チャンなりに 小さな胸を痛め、緊張していたのでしょうね。当日は「ケンケンパー」というワザを披露してました。(笑)
石蹴り遊びのあのケンパーですよ。終わってホッとしてました。(大笑)
 そして、ステキな冠をかぶせていただき、天下晴れて「公認5歳児」となりました。(笑)

 右の写真はだぁちゃんの撮影⇒

 その日はお誕生日のこどもの保護者も、お弁当を持って一緒に登園。こどもたちと並んでお弁当を 食べて、一緒にお祝いの会に参加するそうです。
 海チャンは何日も前から、ワクワクしてこの日を迎えました。この生真面目さは血筋でしょうか?(大笑)

 それで空君はユウジとご出勤!(笑)
バァーバは、お部屋を暖め湯冷ましを作り、空君の到着まで準備万端整えて待ちました。
男の子なのでよくミルクを飲むし、豪快なゲップは出すし・・・それにずいぶんと重くなってました。
 叔父の事で、なかなか空君に会えなかったので、この日はバァーバはベタベタ甘い婆となり、 付きっきりのお世話。(笑)
 海チャンとだぁちゃんが帰宅するまで、空君にかかりっきりでしたよ。うふふ
そんなバァーバに海チャンは安心したのか、育児係として認められたようです。
昨日はユウジの定休日だったし、年末の風邪で伸び伸びになっていた海チャンの希望を叶えようということになりました。 その際、海チャンは「空はバァーバに預けて、3人で映画を見に行こう!」と提案し、ディズニーのインクレディブルを 見に行くのに、またまた空君はバァーバの胸に!アハハ

 こんな朝から雪が舞う寒い日ですが、風邪気味らしいパパは それでも図面をかかえてクライアントさんのところへ出かけています。叔父の葬儀に続いて、新春展で 飛び回り、その後も相変わらずバタバタな日々なのです。少し、息抜きして欲しい!!

 そんなママの願いと1人残された義叔母の願いを叶える機会を日曜日に実行。
 四国の従姉妹たちとそのご主人が、水曜日に戻ったばかりなのに、色々な事後処理の為と、 義叔母を外泊させようという計画の為に、 3日おいて、また来てくれたのです。  叔父の葬儀に出席出来なかった義叔母に、葬儀のビデオを見せたくとも、老人施設では無理。
 個室ではないし、家族だけでの面会室もありませんから、耳が遠くなっている義叔母に見てもらうには 外泊させるしかなかったのです。外泊したがっていた義叔母の希望も腰を痛めて入院したりして、なかなか 叶えられなかったので、今回はホテルにお願いして車椅子でも可能なお部屋を用意して貰い実行。
車椅子のまま移動出来る福祉介護タクシーを利用しました。

 ママたちはお正月に行ったばかりでしたが、今回はそんな訳でスイートルーム滞在。
大きな液晶テレビがあるリビングとキッチン、寝室にも液晶テレビがある豪華さ!(笑)
老人施設では個人でテレビを持って来てはいけないので、昔からテレビ好きな義叔母は喜んでました。 その大液晶テレビにビデオカメラを繋いで、叔父の葬儀のビデオを見せました。音量も心おきなく 大きくして・・・
 従妹のご主人さまとパパには、葬儀よりの疲れを癒してもらいたいと、介護は従姉妹達とママでして、 それぞれのお部屋でのんびりしてもらいました。それから義叔母を囲んでの夕食。
 パパたち男性2人は、新鮮な魚介類の会席にビールと日本酒で楽しく酒宴。うふふ
義叔母も7階からの素晴らしい眺めと、楽しい食事、テレビ鑑賞と大満足の様子でした。

 「また連れて来てね!」との義叔母の言葉に、従姉はうなづいていました。どこまでも心優しい 従姉達です。月1度の博多通いはまだまだ続くようですよ。

ーーー葬儀のビデオを見てる義叔母と従姉ーーー



2005/01/11 TUE.


 偲ぶ花々


 今日は新春展の為の搬入日です。
朝からパパは電話の応対、リストのプリントアウト、 パネルの仕上げとバタバタし、すでに出かけました。今夜からお客様が来られるので夜はクライアント さんのご依頼で接待に参加とのこと。午前様でしようねぇ・・
 ユウジが風邪で熱を出してダウンしているので、 パパは1人、老体に鞭打って頑張っているのです。幸い、ユウジがするべき作業はほぼ終えての発熱 だったので、ホッ!残りは自宅にて作業を続けてもらいました。思えば、2年前の新春展の終了日に 倒れたユウジですから・・・だぁちゃんもパパやママもハラハラしているんですよ。熱が下がって、 後はノドの痛みと咳がのこっているんですが・・・一応、安心しました。

 そんな訳で、電話での会場との連絡をしながらも・・・ママはやっと一息・・・
思えば・・・
 土曜日から怒濤の日々でした。(涙)
その日、ちーちゃんご夫妻とミキちゃんに博多雑煮を召し上がっていただいてました。 寒い日にもかかわらず、ちーちゃんご夫妻はベンツのオープンカーで来ていて、遅れて来た ミキちゃんも雪が降り出し、熱いお雑煮を喜んで食べてくれていた時・・・
 突然、四国の従姉から電話!!
いつも介護に行っていたあの福岡の叔父が亡くなったとの知らせでした。
 叔父は駐車場に行く途中の芝生に倒れていたのを通りがかりの方に発見され、救急車を 呼んで下さったのですが、やはり助からなかったそうです。車を運転するので軽装だった叔父は、あの寒さの中、 心筋梗塞を起こして亡くなったのです。
 一人暮らしなので、家の中で倒れていたらもっと発見が遅れ「孤独死」などと新聞記事になったり したかもと思うのですが、すぐに救急車で病院に運んでいただき、手厚い治療も受けることが出来、 それだけでも、叔父の為にホッとしたことでした。

 こんな私的なしかも葬儀についての記録なので・・・これ以後は、ママの記録として、 福岡に帰って来れなかった親戚、知人で読みたい方の為にと書きました。しかも長いです。冷汗
 まだ松の内なのに・・・お宮参りの後はご葬儀とチグハグな話題で申し訳ないです。
まっ、これもまた人生なので・・・

 事情が事情なので、ちーちゃんたちやミキちゃんが色々とお手伝いしてくれて、パパとママは バタバタと、あちこちに連絡をとったり、出かける準備に専念出来ました。感謝でした。

 まずは福岡の叔父の家にかけつけ、予てより託されていた重要書類やアドレス帳などを持ち、 叔父の眠る病院へと行きました。
 主治医の先生から説明を聞くと、とても安らかな最期だったとのこと。
 叔父はいつものように眠っているようで、呼びかけたら「じゅんこ、なんごとや?」と 起き出しそうでした。実際、夜になかなか電話に出ないかったり、ずーーっとお話中の信号音 だったりして、何度かパパと叔父の家に急いで行ったことがあります。
 預かっている鍵で開けて入ったら、叔父の方がビックリ!(笑)
「じゅんこ、なんごとや?」・・・・

単に受話器が外れていただけだったり、叔父の操作ミスで壊れていたり・・・
 何でもなかったから良かったものの・・・着くまでの車中、高速を走りながらのドキドキ感は 叔父の笑い声で+-0。今となってはその方が、どんなに良かったか!

 携帯電話で四国の従姉達と連絡を取りながら、まずは病院から葬祭場にと叔父を移しました。
大阪の弟が駆けつけて来たのは午後9時、四国の従兄や従姉たちは、どんなに急いでも夜中にしか 着かないとのことで、携帯で相談しながらママがお寺さんや葬儀社と話し合い決めました。
 こどものいない叔父夫婦なので、老人施設にいる義叔母の代わりに甥や姪がしなければならなかったのです。  日曜日にお通夜をし、月曜日に葬儀をすることに決定しました。
夜中、やっと四国から一番年上の73歳の従兄も一緒に従姉妹たちが来てくれて一安心しました。 従姉も勤務中に訃報に接し、ママにまず連絡したあと、総婦長としての任務を他の方に託し、 あちこちに連絡し、とるものもとりあえず駆けつけて来てくれたのです。
喪主である義叔母には翌日、この従姉が知らせることにして、その日は叔父の側で仮通夜。

 翌日は、施設から車椅子で義叔母を連れ出し、叔父と最後のお別れをさせました。
私達、甥や姪にすべて任せて、身体の不自由な義叔母は葬儀には参加しないことになりました。
 突然の死だったので、ほんの身内だけでの葬儀のつもりが、その身内が多くて・・・ 予定より椅子をずいぶんと増やしてもらう始末。義叔母の兄妹も多く、四国からはほとんどの従姉妹が ご主人様やこども夫婦、孫も参加してくれたし、叔父の本家や従兄弟夫婦とまたいとこ・・・と、 寂しがりやだった叔父は、天国で喜んでいると思いましたよ。
 大阪の弟のお嫁さんと姪のaiちゃんも来てくれましたが、何と、大阪の親戚でもこの日ご不幸が あり、義妹はお通夜が終わるとトンボ帰りで大阪へと帰りました。この寒さはお年寄りには辛いのでしょうね。

 その日、叔父のお気に入りだったユウジが熱を出し、しかも叔父の死因が心筋梗塞だった為、 ママはホントに胸がキューーッとなりました。 従姉妹達も同じ気持ちだったようで「ゆうくんは無理をさせない方が良いよ!」と言ってくれて、ユウジ一家は参列しませんでした。
 従姉妹の孫達5人は海チャンに会えないので、とても残念がってくれました。
なかでも、一番年下の従妹の孫が海チャンと同じ5歳で、しかもよく似ているのです。はなちゃんと いうお名前なんですが、パッと見たら海チャンかと思う程・・・
 お留守番だった海チャンも、はなちゃんを撮ったビデオを見て喜びました。いつか是非会わせたいです。 海チャンは花々に囲まれてお棺に眠る叔父を見て、亡くなったことを納得しました。叔父が好きだった ので、残念がってくれましたよ。

 このビデオは、施設で待つ義叔母の為にと、ご葬儀を少しだけ撮ったので編集し、今度パソコンに入力して 義叔母に見せてあげるつもりです。

 このご葬儀の当日は、なんと亡き母のお誕生日、十日恵比寿でした。
そして、この母に一番似ている四国の従姉のお誕生日でもあったのです。叔父は、この2人が特に 気に入っていたんですよ。またこの2人も叔父の世話をよくしました。ホント、不思議です。

 叔父は大学卒業後、兵隊から帰還した時、結核となっていて・・・
ママと弟は、母に連れられて叔父の入院している国立結核療養所に、よくお見舞いに行きました。
でも、感染してはいけないのでママと弟は病棟の外に立って、ベットから手を振る叔父と面会。 その時に色々と配慮してくれた看護婦さんが、今の義叔母でした。
 幸いにも肺を1つ切除し、ストレプトマイシンの発明で一命を取り留めた 叔父は、父が叔父の先輩だったこともあり、妹の嫁ぎ先の我が家で、退院後2年程療養しました。 それで、ママと弟は叔父から勉強を習ったり、遊んでもらったりし、叔父が結婚し独立後も 近くに住んでいたので、ずーーっと今日まで・・・・
 祭壇のご生花を持ち帰り偲びます⇒

 兄弟姉妹の中で一番身体が弱く、しかも肺は1つしかなかった叔父が、結局は一番長生きし、 最後まで叔父として我々を繋いでいてくれたのです。叔父夫婦にはこどもがいなかったので、 甥や姪、そのこども、その孫まで可愛がってくれていました。
 その姪の孫たちの2人が叔父へのお手紙を自発的に書いてお棺に入れるのだと 言って持参してたので、ご葬儀の時に本人達に祭壇前で読み上げてもらいました。
 こどもが大好きだった叔父に一番相応しい場面でした。ここは義叔母に是非に見せたいと、 カメラを構えていたのですが、ママは涙が溢れてカメラがブレて・・・(涙)

 ご葬儀の日、四国や大阪と遠くの甥や姪が多いので、火葬の後に初七日の法要もしました。
49日の法要の後、お墓に納骨するまでは、施設にいる義叔母に代わり、 本家にあたる年長の従兄がお守りしてくれます。それで今日、四国へと連れて帰ることになっています。
納骨の日にあの生まれた地の○家の墓所に帰って来るまで・・・四国で甥や姪達に囲まれて 静かに眠って欲しいと祈ります。

ーーー葬儀の日の福岡の空(都市高速より)ーーー



2005/01/04 TUE.


 バァーバの振袖を着てくれた海チャン



 お対の被布を着ると帯なしでらくちん!


 このお正月、海チャンが着物を着たいというので、ママの昔の振袖を着せました。
祖母と母が、ママの七五三の為に縫ってくれた振袖です。お対で被布も作ってくれていたので、 帯無しでも着られるので、お気に入りでした。
 もう50年も前のものですが、丁寧な染めの絵柄と綸子の光沢は今でもきれいですよ。 モチ、古くさい柄なんですがね。パパなぞ「まるで犬神家の世界のごたあ・・・」と笑ってました。(笑)

 今日は、空くんの記念撮影をしました。
生まれて無事に一ヶ月余り、いわゆる「お宮参り」の撮影です。
我が家はクリスチャンホームなので、お宮参りは致しませんが、日本人らしくというか、 世間並みに写真だけは撮るのです。アハハ
 そんな訳で、だぁちゃんが和服を着るので、海チャンも着たいと・・・
で、お正月なので海チャンも正装させようということになりました。(笑)

 ユウジやクニコの時は、まだ パパの実家が写真館をしてあったので、 義父が撮ってくれました。
 赤ちゃんのコンディションの良い時なんて、そうそうある訳ではないので、 時を選ばすに撮ってもらえて楽でした。
 しかし、今回はそうはいかず・・・空くんは泣いたり、眠ったり、 なかなかパッチリ目を開けてくれず・・・もう大変!(笑)

 撮影スタッフの方々が鈴を振ったり、手をたたいたりして大騒動でした。
 お宮参り定番の絹のスタイと帽子に慣れてないせいもあり、空くんはご機嫌ナナメなんです。(笑)
 側に立つ海チャンがあくびしつつも、文句も言わずじっと我慢してるのが健気でした。 さすがお姉さんになったと・・・感心しました。お宮参り着の紋付をだぁちゃんが 肩からかけてなかったら、まるで主役は海チャンに思えるくらい!(笑)
 カメラマンからの注文通りに、ポーズを決めて不動ですもの・・・うふふ
七五三の時に撮影して下さったカメラマンさんでしたが、「海チャンお利口さんになったねぇー!」と 誉めていただきました。あの時はご機嫌ナナメだったもので・・・アハハ

 で・・・
横で見てハラハラしつつも、ちょっとデジカメでママも撮りました。(笑)

 撮影のお邪魔しては悪いと思いつつ撮ったのでブレてます!ワハハ

 まっ、プロが撮影されたものが届くまでのご愛嬌ということで、ご勘弁を!(笑)

 なかなか親切で細やかな配慮をされるカメラマンに感動しましたよ。 いつもはあまり泣かないのに、生活リズムが狂ったせいか大きな声で泣くので、申し訳ないやら・・・
 でも、パパは「赤ちゃん撮るのはこんなものだよ・・・」と、動じません。(笑)

 パパは、幼い頃からこうゆう撮影スタジオで暮らしていた訳ですから、お父さんたちの撮影風景を 思い出しながら懐かしく見ていました。 パパの実家は三代続いた写真館だったのですよ。

 ちなみにママの実家がご近所だったので、ママや弟のは勿論、 父母の結婚写真、それに祖父の記念写真にまで、すべて「森写真館」と印が入ってますよ。 まさか、その森写真館の息子と結婚するとは思いもせず・・・アハハ

 なんだかとても疲れましたが、あの晴れ着の海チャンをママの母や祖母に見せたかったなぁと、そして森のスタジオの 父たちのことなどを思ったお正月イベントでした。

ーーー今年の博多雑煮ーーー


筑後川の残照(本日は弟の誕生日だと気付く・・・アハハ)



2005/01/01 SAT.


 初日の出を待つも暗雲が垂れ込めて・・・



 ほんの一瞬でしたが・・・2005年初日の出です!
 このあとは何と雪が舞い始めました。



 明けましておめでとうございます!
 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


 いつものホテルで年越しをし、 2005年を迎えました。
例年は穏やかな博多湾は白い波がたち、冷たい強風が吹き荒れています。

 今朝も6時半に起きてバルコニーから初日の出を見ようと待っていました。
が・・・空一面の厚い雲に、背振連山の方は雪模様の様子。
 『あの雲は雪雲かも・・・』と、ほとんど諦めてましたら、ほんの一瞬、雲が切れてオレンジ色に 輝く初日の出が海面を一筋に染めてお目見え!
まるで、寒い中を待っているママへのご褒美のように輝いたのでした。うふふ

 昨日の大晦日は、目覚めて窓を開けてビックリ!
何と、一面真っ白の雪景色。それまでの暖冬は何だったのか・・・と思う程の寒さでした。

 だいたい、滅多に出かけないママが1年に一回のお楽しみのお出かけの日に、わざわざ雪を降らさなくても良いのに・・・(笑)

 例によって、これしきの雪なのに、高速道も都市高速道も全面通行止め。(笑)
まっ、そんな意地悪なお天気も、天変地異の多かった去年に相応しい幕引きかもね。 お昼には広川⇒古賀間が解除されたので、太宰府まで走り、後は一般道を通りました。3号線は すごい渋滞でした。高速も都市高速も通行止めなので帰省される方々は大変です。ママたちは 反対方向なので比較的空いてましたが・・・まっ、そこはそれ、パパもママも福岡のことならお任せ あれ・・・なので、無事にホテルに到着!(笑)

 お出迎え下さった総支配人さんが 「花火はこの荒れ模様ですから、午後 10時を待って最終判断するつもり・・・」とおっしゃってましたが、 夜になっても風は弱まらず、ちょっと心配しました。でも、続々と見物の方々も集まり始め、賑やかにカウントダウン開始!
不思議と風も弱まり、大きく広がる打ち上げ花火を間近に見ながら新年を迎えました。
 今年も、ホテルの近所に住むちーちゃんが遊びに来てくれ、一緒にカウントダウンして 夜空いっぱいの光と音の響宴に酔いしれました。
 この寒空にもかかわらず、プールサイドにいた何人もの若者がプールにダイブしたりして賑やかでした。 我々はお部屋のバルコニーから見てたんですが、いつもと違い、あまりの寒さに花火の終了と同時にドッと 見物の方々が帰路を急がれる様は壮観でしたよ。

 新しく始まる2005年、愛と希望に満ちた年であるようにと祈ります。
特に、戦争や災害に傷ついた人々、悲しみや悩みの中にいる方々にも希望の光が照らす年で あるようにと祈っています。

ーーー2005年カウントダウン花火ーーー


ーーー高く高く希望を空に!ーーー